Robert Fulford DO FCA


ロバート・C・フルフォードDO(1905 - 1997))は、1929年6月医学校への入学する過程を取得。同年8月大恐慌によりすべての資金を失い、入学を断念する。
ユニオン・カーバイト社に入社
1936年、医師になりたいという過去の希望が再燃し、医学校に再志願する。
学部長より「医師になるより、歯科医になったが良い。」と言われ、もとの職場に戻る。
1937年7月、仕事中に左手の腱切断し回復過程において医学へ願望がより強くなる。友人の主張によりカンザスシティ・オステオパシー大学に新学期が始まった2週間後に入学が受理される。
オステオパシー医学訓練の期間中に、A.T.Stillの書物により哲学と出会う。大学3年の時、生命エネルギー場の初期研究を行ったH.S.Burr,Ph.Dの研究に興味を持つ
1939年にW.G.Sutherlandに初めて出会う。
1941年に卒業し、オハイオ州シンシナティで開業準備を始める。その2,3か月後、第2次世界大戦が勃発。地元のM.D.が徴兵されたため、途方もない数の患者を治療することが強いられた。その時にパーカッション・バイブレーターを用いる方法を考案。
1940年代中期(1942)にDr.W.G.Sutherlandの2つのコースをとる。
1949‐1950年ごろ、フィラデルフィア・オステオパシー医科大学において小児科医Beryl Arbuckle,D.O.の元で研究を行う。
1950年以後、Randolph Stone D.O.と出会う。
1996年Touch of Life(邦題「いのちの輝き」)を一般向けに出版。

生涯を閉じる1週間前にシカゴCMEカンファレンスでデモンストレーションを行う
1997年6月27日永眠(享年91歳)