オステオパシーレクチャー
第11回オステオパシーレクチャー、古賀式を学ぶにあたって

 


昨今は海外からのオステオパシーの情報も沢山入ってきていて、諸学生や臨床に携わる方々には、知識を得るのに素晴らしい環境だと思います。
それだけではなく、オステオパシーの学校も沢山できてきております。イギリス式、フランス式、カナダ式などヨーロッパのスタイルが多くみられます。
米国のオステオパシー大学を卒業したかたが教えている学校まであります。

 

私が師事した古賀先生は、生前学校を作りたいと語っておりました。
オステオパシーを学ぶのであれば米国でなければならない。と発祥の地アメリカンであり、そこから伝わった亜流で無く、ドクターとして生業とする。本物のオステオパスでなくてはならない。
古賀先生は、私の力を持って米国の一流のオステオパスを呼び学校を作るのだと、その構想の中には、Dr.フルフォードも含まれてていました。
古賀先生はDr.フルフォードと親交を持っておりました。
彼がKCOMから1989年にテニング学長を含め、教授陣も招待し講習会を行いました。
その時Dr.フルフォードは心臓の状態が悪く残念ながら日本へくることは出来ませんでしたが、変わりに愛弟子であり、彼には、もう何も教えることは無いとあわしめた。
Dr.スラッタリーが来日しております。残念ながら彼は二年前に他界しております。
本来、彼がDr.フルフォードの後継者でした。彼はKCOMでも一番人気の教授でした。
彼はDr.フルフォードと共に彼のワークを教えていました。だけどDr.スラッタリーは突然自分なりの方法でひとりで、教えたいといい。突然消えてしまいました。その存在はだれも知りませんでした。米国に限っても。
私はたまたまDr.フルフォードの高弟から彼のワークを習っていたため、そのことをしりました。
Dr.フルフォードの高弟である。Dr.コスですら、その存在をしりませんでした。彼が言うには、まるでこの世から消えてしまったかのようだ。と
このような先生を古賀先生は日本へ呼んでいたのです。Dr.スラッタリーは神経学の博士号を持っていました。
もし彼が生きていて、オステオパシーをそしてDr.フルフォードのワークを教え続けていたら、どうだったでしょうか?

 

そしてDr.コスは本来、医師にしかDr.フルフォードのワークは教えないと言い続け、日本からの要請を断り続けていました。たまたま私は米国で彼のコースを受ける機会があり、そこで彼に聞かれました。
Dr.古賀を知っているかと

 

私は答えました。もちろん知っています。私は彼の弟子で、私の一番尊敬するオステオパスだと、そして、彼の亡き後、Dr.古賀が常々言っていたこと、オステオパシーを学ぶのであれば米国の優れたオステオパスからオステオパシーを学ばなければならないと、私は彼から言われてきました。と、だから貴方のもとへ学びにきました。と彼に伝えました。
彼は君はDr.古賀の弟子なのかと、大変喜んでくれました。そして私は彼に日本へ来て、日本の人達に教えてくれないか、と頼みました。彼は喜んで来てくれると言ってくれました。
夢のようでした。
この様に古賀先生は米国オステオパスに絶大な信頼がありました。
彼はDr.フライマンやDr.マグーンとも親交がありました。Dr.フライマンはサザーランドの直系のクラニアル オステオパスです。
何故、私は頭蓋仙骨療法と言わずに、クラニアル オステオパしーと言うのか、その理由は、サザーランド直系の他のオステオパス、遠い昔の話ですがDr.レイのコースを取っている時に、ある受講生にたいして、激しく叱っていたのを思い出します。頭蓋仙骨療法はオステオパシーでわない。言い直しなさい。クラニアル オステオパシーと激しく受講生に叱っていたのをみてしまったからです。
Dr.フライマンは常々、日本にオステオパスが協力してひとつの団体をつくるべきだと、もしひとつにまとまる事ができたら、私は貴方達にクレニオを教えましょうと、一度は業界がまとまったのですが……。

 

彼女が日本に来た時にDr.古賀は一生懸命に日本のオステオパシーのこと日本のオステオパスの技術の向上と知識の向上について頑張っていた。と、けれども生徒達が理解していないと、残念がっていたことを思い出します。けれども皆が団結してひとつの団体をつくり、日本のレベルアップと日本にオステオパシーを根ざすと、Dr.フライマンはとても楽しみにしていました。
今の日本はどうでしょうか?
クラニアルの40時間のベーシックコースが受けられない状態です。今年Dr.クロウが、OCA、SCTFの認定コースではありませんが、ベーシックコースを行います。ある意味業界の進歩と言えます。

 

まだまだ古賀先生の構想は広がっていたと思います。
その構想の大きさを日本のオステオパシーの業界は理解していたのでしょうか?

 

そして私は古賀先生から、言われていたことは、私は今まで君達に調整法を教えてきた。君達に治療法を教えてきていない。それを教えなければならない。そして米国オステオパスから、それを学ばなければならない。私には準備がある。そのための米国オステオパスを呼ぶつてもある。と語られておりました。
古賀先生亡き後、私が米国で学び続けることにこだわった理由でもあります。

 

現在の日本の講習会や国際セミナーはどうでしょうか?
テクニックばかりです。確かにテクニックも大切です。
それだけでは無くオステオパシーの原理、原則も学ばなければなりません。そこに原理、原則がなければ、英国の伝説的オステオパス、ジョン・ワーナムが言うようにテクニックの中に原理、原則がなければ、単なるマニプレーションである。そのような人達はオステオパスではなくマニプレーターである。単なる猿真似に過ぎないと。

 

私達はオステオパシーの原理、原則だけでなくその上に積み上げられたテクニックと解剖学的、生理学的にも積み上げられた。そしてオステオパシー的にどのように診断しどのように治療するかを学ばなければなりません。
ただ硬いからとか、動きが無いからではありません。
診断として、そこで何が起こっているのか?そして私達オステオパスは何をすべきなのか?それを学ばなければなりません。
テキストに書かれている以上の事を学ばなければなりません。
本に書かれていることで、皆さんは満足してないでしょうか?
本来、オステオパシーのテクニックは高尚なものです。大人数の中でひとりの講師では学べません。手から手へと伝承されなければなりません。
皆さんは大人数の中のひとりの講師、それとも少人数の中でひとりの講師、どちらを選びますか?