オステオパシーレクチャー

第5回オステオパシーを習得するためにカークスビルモデル
 


日本人のカークスビルの卒業生は現在、3人でています。平沼先生、森田先生、鈴木先生です。

最初、Dr.古賀がカークスビルに日本人の道を作り彼は名誉教授にもなりました。
一部の人達は所有していると思いますが、頭蓋骨を頭蓋を用いずに他の部位を使って頭蓋骨を動かす、記録ビデオです。

そして、日本でオステオパシーのヒーロー的存在マイケル クチエラ先生の捻転した歯を歯や頭蓋骨を用いずに動かしたり、Dr.古賀はフライエットの治療の仕方を知っていて、それを米国で実演しました。
それらが米国で評価されました。

カークスビルモデルを勉強するうえで必要なテキストは日本では、
クチエラ マニュアルの二冊と言えるでしょう。
一冊目はオステオパシーの基本コンセプトを理解するのに素晴らしいテキストだと思います。
私もオステオパシーを学び始めた頃よく学習したものです。

通常はクチエラ マニュアルといわれていますが、内容としては、Dr.キンバリー、Dr.ジンクのコンセプトがベースとなっています。
カークスビルモデルは長い歴史のなかで、いろいろ教授法が変わってきています。その他の米国オステオパシー大学もそうですが、Dr.キンバリーの影響は多大と言えます。

やはりDr.ジンクも多大な影響をオステオパシー業界に残しています。
彼のコンセプト            循環システム、は当時のオステオパシー業界では画期的でした。何故なら神経の促通についてがとても盛んであり、神経学的アプローチが中心であり、全体論というより、部分的なアプローチに感じられた時代です。
Dr.ジンクは各主要な分節を評価し、筋膜の評価を中心に一般代償と非代償に分け体液の循環がどう阻害されているかを評価しました。
ATスティルがいうように、動脈の流れは大切である。この格言をDr.ジンクは大切に考えていました。だから動脈の循環が阻害されている場合は、それが優先される他の代償よりもまずその部位が優先されるべきであると言っています。
当時、神経学的アプローチが優先されていたため、全体をみず神経をみていた感があります。
Dr.ジンクはATスティルの格言、筋膜の重要性についてを考え、当時の分節にたいしての治療ではなく、膜にたいしての治療でした。
Dr.ジンクは筋膜オタク、リンパオタクと呼ばれたそうです。

その足りてない部分をマイケル クチエラ先生はカークスビルに含めたといえます。
70年KCOM卒業のDr.ジェラスに聞くと、当時のオステオパシー大学で習ったテクニックは軟部組織のテクニックとスラストだけだったそうです。
その後、いろいろなテクニックやコンセプトがうたわれKCOMも段々と導入していきました。

いろいろ書きましたが、KCOMの教授法はDr.キンバリーによる影響が強く、クチエラ マニュアルマニュアルの一冊目はキンバリーメソッドを中心に、足りないと考えられた、ところをDr.ジンクの理論を彼は補いました。
けれども素晴らしいテキストであるには違いありません。

次回に続く。